ミスチルと山口素堂
♪♪ ありふれた時間が愛しく思えたら それは愛の仕業と小さく笑った ♪♪
これはMr.チルドレンのヒット曲「Sign」の一節。
「ありふれた時間」とは大きな買い物をしたとか、旅行に行っているとか、素晴らしい出会いがあったなどの特別なことではありませんね。
いつも何気なく繰り返されている時をさしています。
日常とは違った特別なことをしたときに感じる「幸せ感」は人それぞれいろいろあります。
しかしこれはひとつの「刺激」であり時間とともに減少しやがて消え去ってしまうもの。
「人は欲しいものを手に入れた瞬間からそのものへの興味は半減する」
といわれるマーケティングの鉄則はそれを見事に表現していますね。
人が愛しく思える時間を感じるのは刺激からではなくほんとうに日常の何でもないこと。
些細なことや粗末なもので幸せを感じるには心の奥深さや豊かさが必要ですね。
そしてこれを続けるのは日常の努力が必要です。
目には青葉 山ホトトギス 初鰹
山口素堂のこの句は毎年繰り返される何でもない日常を詠んだ句。
今年も味わうことのできたこの時にただただ作者の満足感のこもった吐息を感じます。
最近ベビーカーにiPadをナビのように固定して散歩しているママを見かけました。
2歳くらいの幼児がベビーカーの中で人差し指で慣れた手つきで操作しています。
この子は画面の中だけに強い興味を持ち、そこから多くの刺激を得ることはできます。
しかし木々の色や風や空気や匂いや雑踏の音を自らの感性で感じとることができません。
日常の当たり前の風景よりも刺激を優先させられています。
「ムシャクシャしてやった」という最近の事件はこんなところで作られている様な気がします。
美味しいものを「おいしいっ」と感じて食べることができ、よく眠れ、よく動ける。
これを「健康」といいます。
こんな些細なことに感謝できるのは人間の特権ではないでしょうか。
AIにはできない 将来も絶対できない最高等技術ではないでしょうか。